BLOG 店主敬白

還暦のくすり屋さん、馬場英二が常々思うこと。

豊かな時間をすごしている、
2018年8月9日 13:09

篠田桃紅さんの「105歳、死ねないのも困るのよ」から引用しています。

豊かな時間をすごしている

雪が降ると、私は中原中也の詩「雪の賦」を思い出します

そのおかげで、ただ雪を眺めているより

何倍も雪を楽しむことが出来ます。

「雪の賦」中原中也

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに

憂愁にみちたものに、思へるのであった。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り

大高源吾の頃のも振った

幾多々々の孤児の手は

そのためにかじかんで

都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ

ロシアの田舎の別荘の、

矢来の彼方に見る雪は

うんざりする程永遠で

雪の降る日は高貴の夫人も

ちつとは愚痴でもあらうと思はれ

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに

憂愁にみちたものに、思へるのであった

中原さん自身が雪が降っているのを眺めて

いろんな空想がうまれたのでしょう。

そしてそれを言葉に置き換えてくれたおかげで

彼の空想を万人が共有することが出来ています

詩になったおかげで、

私たちは、詩人がつくった空想をおすそ分けしてもらって、

自分も空想を夢見ることが出来ます

人々の心の中に、大きな美しい、誘いかけをつくった詩人を、

私はとてもありがたいと思います

普通なら、雪が降れば、ただだんだんと白く積もっている

というだけで終わります

しかし、詩人の頭の中の雪は、

ただ降っているだけではありません

人生が、悲しくも美しいものに、

そして憂愁に満ちたものになっています。

 

なぜなら、その雪は、中世のお城にも降り、大高源吾にも降っています

大高源吾は、忠臣蔵の赤穂浪士四十七士の一人で、

雪の日に討ち入りの話し合いに出かけていきます

さらに雪は、都会の貧しい孤児の体の上にも降り

高貴な夫人がいる田舎の別荘にも降っています

全く環境の違う場所に降る、さまざまな雪を連想します

詩の力で、私たちは自分の知らない境地をのぞくことが出来ます。

雪が仲立ちとなって、詩人の心が近寄ってきます・

このように、文学や絵などの芸術は、私たちに喜びや悲しみなどの

影響をもたらしてくれて、それこそが芸術の一番の存在価値です。

きれいな雪だと思って眺めているよりも、

詩を思い出すことで、深く、また違ったいろいろな色彩が加わっていきます。

雪と自分の間の味わい方は、非常に複雑に、楽しく、面白くなります

そして、芸術の普遍性は、私たちの心に宿る、ことなのだと思います。

私は、彼の詩を知っていたおかげで、雪が降ったというだけで

私の心の遊びかたはずっと広まり、深まります、

そして、いろんな空想をして、豊かな時間を過ごしています。

 

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